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    <title>ストレスを癒す＊ちいつも心の節約ノート</title>
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    <updated>2012-04-12T02:19:30Z</updated>
    <subtitle>ストレスと付き合う方法。心をすり減らさない方法を心の節約と考えてまとめたサイト</subtitle>
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    <title>人は思いたいように自分を評価する</title>
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    <published>2012-04-11T01:28:57Z</published>
    <updated>2012-04-12T02:19:30Z</updated>

    <summary>人にどう思われるか気になるシリーズ。人の自分に対するイメージはなかなか変えられないので、変えようとしないことがおススメ。具体的なことで自分がストレスをためないように意見することが良いと思いました。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>「実の私はこうなんです..」.と自分を理解してもらうための説明をずいぶんしつこく続けてきた気がします。</p>
<p>でもあるときふと、私からのはたらきかけ（説明とか行動など）で相手の私に対するイメージや評価を変えることはできなし、それが当たり前だと思うようになりました。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>具体的にどうしたいか、だけを考える</h3>
<p>人からの自分の評価を相手との関係で分けると、大きく２通りが考えられます。</p>
<p>一つは社会的な評価で、勤務先の上司からの評価、学校の先生の評価など。査定や進学などの結果につながり、意図的に良くしていく必要に迫られているもの。</p>
<p>二つ目はプライベートの素の人間関係での自分イメージ。やさしそう、気難しそう、なんでも言うことを聞いてくれそう、頼りになりそうなどなどです。</p>
<p>今日、この記事で書きたいのは二つ目の評価のこと。家族、友人や知人から自分がこう思われている、こう思われたいという気持ちから生まれるストレスについてです。</p>
<h4>流されていく「私の説明」</h4>
<p>私の場合、「頼りになる」「なんでもわかってくれる」「ほんわかしている」というイメージを持たれます。一見、自慢のように思われたかもしれませんが、私にとっては嬉しいことというより、むしろプレッシャーでしかないストレス源でした。</p>
<p>私の自分に対する評価（イメージ）は「けっこういい加減」「本音は逆」「イラチ（関西弁・すぐイライラする人）」です。あれ？と思われましたか。そうなんです、人からもたれるイメージと逆なんです。</p>
<p>で、私は両親・兄弟以外に対しては、相手が思うように行動しなければいけないという自分縛りルールがわりと強い方だったので、自分イメージのギャップは「失敗できない」「絶対、わかってあげないといけない」「いらいらしてはいけない」というプレッシャーになっていました。</p>
<p>そこで、私は自分は「頼りにならないところもあるし、あなたの考えと逆のことを思うときもたくさんあるし、イライラしてるのよ」と説明して、自分のイメージを直してもらうことに膨大な時間とエネルギーを割いてきたわけです。</p>
<p>ところが、です。時間やエネルギーをかけて説明しても、相手の自分イメージはそう簡単に変わらないのですね。</p>
<p>自分の味方、と思った人はずっと味方と思うのが人の常で（だから裏切られた！と思う）、コロコロと変えていたら脳も大混乱でしょうし、そもそも<a href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/post_4.html" >人は思っている以上に人に事を気にしていない</a>ものなので、「私、実はこうなんです」という話も「へー、そうだったんですか」だけで終わることがほとんどだと思うんです。</p>
<h4>相手が思い描きたい自分（私）イメージは尊重する</h4>
<p>「へー、そうだったんですか」だけで終わってしまうことが「自分を理解してもらえていない」というストレスや相手に対する不満になることは多いです。</p>
<p>精神的なことだけだと、単なる暇人か神経質な人で終わってしまいそうなので、具体的な例をあげます。</p>
<p>グループで何かしているとき、自分ばかりやらされていると思う場面。「あなた子供いないし外で働いていないから時間あるわよね」というかんじで用事を頼まれまくって辛いなど、意外とありがちです。</p>
<p>で、「私には取り組んでいる在宅の仕事があって時間は余っていない」ことを一生懸命説明します。"そうだったのね、そしたらもっとみんなで分担しましょう"と言ってもらうために。</p>
<p>でもたいてい「そうなんだー、大変なとこごめんね。だいたいで良いから」という感じで終わってしまうのが私の経験で、「忙しいことをわかってもらえなかった」ストレスがボンッと生まれてくるのです。</p>
<p>でも「子供がいない」「基本は家に居る生活」は、一般的には「自由に時間が取れる人」とされています。親の介護などがあれば話は別ですが、そうでなければ特殊なパターンなので、理解されなくても仕方がないんですよね。</p>
<p>そこで、理解してもらうことは諦めることにしました。これで、理解してもらうために使っていた膨大な時間とエネルギーが節約できるなら、お安い御用だわ!!と思って、「相手が思いたいように自分を評価してもらう」ことにしました。</p>
<p>「自分を理解してもらえていない」という不満も、「だいたいしか理解してもらえなくて普通かなー」ぐらいに思うようにしました。</p>
<p>そうこしていたら、結局は"私の言動でこの人はそんなイメージを持ったんだ～。へ～。"という受け止め方になりました。なんというか、相手の自分に対する評価（イメージ）も好奇心の対象になった感じです。</p>
<h4>具体的な結論は、自分の意見をはっきり伝える</h4>
<p>評価は放置することに決める代わりに、具体的に影響がでそうなことはきちんとフォローすることにしました。たとえば、</p>
<ul>
<li>暇と思われて任せられる用事→ちょっと今できないの、ごめんねー＾＾と言う<br />
（暇やのに断って、なにさ！と思われるか気になるけど実際にできないのだから（忙しくなくても）気にしない）</li>
<li>ミスしない原稿作りを頼まれた→誤字脱字と表現に失礼がないかだけチェックしてーと言う<br />
（ミスがあったらどうしよう、と不安になりすぎて原稿に集中できないなら、チェックだけを分担してもらう）</li>
</ul>
<p>断るのではなくできる範囲でだけやろうと思ってもいいし、自分なりにミスを発見しやすい原稿作りルールを作ってもいいと思います。ポイントは相手の許可を求めず、自分で"私はこうするわ"と決めちゃうこと、でしょうか。</p>
<p>大切なことは、人からの評価をうんぬんするより、"私が何をどうしたいのか"を自分で知っていることと人に伝える事。人からの評価はなかなか変えられませんから、そこは家族や気心のしれた友人に愚痴（変えようとせずただ話す）って気分転換しながら、具体的な結果を変えるようにだけすると楽になる気がしています。</p>]]>
    </content>
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    <title>人は思っている以上に人に事を気にしていない</title>
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    <published>2012-02-26T08:27:28Z</published>
    <updated>2012-04-12T02:23:07Z</updated>

    <summary>人のことが気になるシリーズ。周囲によく言われる人が思った以上に人を気にしていないという話について。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[ <p>「若いからだねえ」と年上の知人や家族からよく言われます。彼女たちが言いたいのは「若いから人のことが気になるんだよ。」ということ。なるほど。</p>
<p>つまり、自分が気にしなければ人のことを気にしてのストレスが減るということですね。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>みんなそこまで考えてないよー</h3>
<p>最近私が良く言われる言葉であり、私も良く言う言葉が「みんなそこまで考えてないよー」です。私が考えすぎ、っていうことの別の言い回しでもあります（笑。</p>
<p>例えば、友達からのメールの返信が遅いので「自分が気に障るメールを送ったのではないか」と気にする。電話したのに出てくれなかった場合も、過去のあれこれを思い出して、実は嫌われたんじゃないかと思ってしまう、などなど。</p>
<p>まあそう気にせずに(*^-^)ノ　と自分に言ってあげましょう。</p>
<p>メールの返信が遅い理由にはどんなことが考えられるでしょう。例えば<br />
・会議中だった<br />
・運転中だった<br />
・子供をお風呂に入れている最中だった<br />
・他の人とつい長電話しているところだった　etc</p>
<p>自分とは関係ない、たまたま、な理由がいっぱい考えられます。だから、返信が遅い理由は自分には関係ない場合がほとんどです。</p>
<p>もし、直前のメールで自分が相手を傷つけたなどの心当たりがある場合は、相手の返事を待つよりも自分から「さっきは書きすぎたよ。ごめんね。」と返事してしまうことです。相手が何も思っていなければ、「気にしてないよー」とあっけなく解決しますしね＾＾</p>
<h4>そう思うことも大切</h4>
<p>返信メールが遅い件について、共感された方もいれば、うわーそんなこと気にされたらメル友になりにくいわ、と言う方の両方がいるのではないでしょうか。</p>
<p>私は3年ほどまえに、メールのやり取りが苦痛になったことがあり（人間関係のトラブルが原因）、それ以来、自分のメールの返信が遅れても気にしないことにしました。</p>
<p>申し訳ないことなのだけど自分が遅れることを許すと、相手からの返信が遅いことも許せる余裕がでてきました。そして、さきほど書いたような「運転中かも」「子供の世話の最中かも」という相手の事情をたくさん思い浮かべられるようになりました。</p>
<p>「人は思っている以上に人に事を気にしていない」については、正直、そう思えない時期もあり、今もまだ葛藤しています。</p>
<p>"人のことを思う"のは自分の良さでもあるから、相手の存在を無視するというほどに正反対の行動をとるのではなく、気にしすぎない＝上手くバランスを取っていきたいとも思います。</p>
<p>人のことを気にしている人と話すとき「いや、相手は気にしている」というオチで終わることも多いです。実際に相手が気にしている時もあるので、ここで大切なことは「人は思っている以上に人に事を気にしていない」というのが、<strong>正しいかどうかではない</strong>と思います。</p>
<p>自分が苦しくなるほどの人への配慮を一休みするための理屈、として「人は思っている以上に人に事を気にしていない」というフレーズが役立ちそうなら、とりあえず自分にそう言ってみる、と言う程度が良いと感じています。</p>
<p>配慮と意識し過ぎのバランス、難しいけど、上手になりたいですね。</p>]]>
    </content>
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    <title>地道な人</title>
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    <published>2010-06-11T17:16:02Z</published>
    <updated>2010-06-11T17:57:03Z</updated>

    <summary>地道に努力できる人にあこがれます。努力できる能力を持った人が天才だ、という考えに共感します。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="なりたい自分" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>「今の自分にできないことをできるようになること」は私の趣味かもしれません（笑。</p>
<p>そして私は地道に物事を続けられない性格なので、いまは「地道な人になりたい」と強く願っています。</p>
]]>
        <![CDATA[<h3>最後に何かを達成するのは地道な人だ、という結論</h3>
<p>目指している資格や大学があるとして、合格した人と不合格の私の違いはなんだろうと悩みます。いまは主婦なので、家事と仕事を両立している人と毎日どちらも中途半端な私との違いはなんだろうと悩んでいました。</p>
<p>幸い、合格した人や家事と仕事を両立している友人がいて、彼女たちを言動を観察（笑）したり相談して気づいた共通点、それが<strong>毎日同じ事を繰り返している</strong>ということでした。</p>
<h4>地道さ＝繰り返し＝努力</h4>
<p>私は同じ事をするのが嫌いでした。飽きるというかつまらないというか。</p>
<p>でも友人たちは毎日同じ事をきちんとしているんですね。何時から掃除を始めて洗濯をして、夕方は何時から夕食の支度を始めて、というふうに。受験勉強をしていた友人も最終的に合格したときは、もう淡々と決めた時間に勉強していたと思います。</p>
<p>友人たちと私の違いはこれではっきりしました。そしてその違いがいまの立場の違いです。</p>
<p>物事の基本は繰り返しにあり、何ごとも一人前に習得したければ同じ事をひたすら繰り返すこと。メジャーリーガーのイチロー選手や羽生棋士が「天才は、同じ事を繰り返す能力がある人でしょう？」という趣旨のことを言っていた気がします。<br />
（※「天才ですね」と言われるのに対し「努力し続ける才能は持っています」と答えたんだと思います）</p>
<p>天才の定義は争いがあるし、アインシュタインが言ったとされる「天才とは１%のひらめきと９９%の努力である」も誤訳だったのでは？という説があるようですし、なにより私は天才になりたいわけじゃないので、「天才」かどうかが問題ではないんです。ただ、大きな成果を出している人は、毎日同じ事（素振りや棋譜を見るなど）を繰り返しているという事が大事かと。</p>
<p>ひらめきや奇想天外な思いつきはもしかしたら誰にでもできて、ただそれを絵にしたり文章にしたり写真に表現したり美味しい料理にしたり、となるとできないのかもしれませんよね。デッサン力、文章力やカメラの知識、料理の技能を身につけなければひらめきを他人に示す方法がないですから。</p>
<p>だから偉業を成し遂げた人はその分野の基礎をしっかり固めているってことかなあと思いました。ピカソって変な（ゆがんだ）絵を書いていますが、デッサン力がすごいって言います。</p>
<p><strong>地道な人になりたい</strong>っていうのは、自分がこれだ！と思ったものを成し遂げるために必要な力を持っているからなんですよね。つまらないし、格好よくないし、地味だけど、最後に「やった！」と喜べる人なんじゃないかと。</p>
<p>憧れます。</p>]]>
    </content>
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    <title>生きる喜びは、強烈な生きる苦しみから生まれる</title>
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    <published>2010-06-11T17:14:01Z</published>
    <updated>2010-06-11T17:19:44Z</updated>

    <summary>苦しみが深い方が喜びも大きい。そう信じることにして、生き方を少し変えてみました。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="心に響く言葉たち" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p> 岡本太郎の言葉で2008年のほぼ日手帳に掲載されていたものを2009年9月11日にメモしていました。</p>
]]>
        <![CDATA[
<blockquote cite="" title="">
<p>2008年3月2日<br />
「生きる歓びというのは、<br />
生きる強烈なつらさと背中あわせなんだ。」<br />
（岡本太郎さんの言葉。『ＴＡＲＯのひとこと』より）</p>
</blockquote>

<p>楽しい、嬉しい、安心という感情は、つまらない、苦しい、不安などベースにあって初めて感じられるんだと思います。つまり、つまらなさや苦しさ不安感を感じていたときの心の状態と、そうではないときの心の状態の高低差が楽しさや嬉しさや安心なんだと。</p>

<p>苦しいことを経験しなければ無感動になる。よほどの快楽を得なければ「感情の高低差」が生まれず、けっきょく何も感じないで生きているような気持ちになるんじゃないかと思います。</p>

<p>すっごいがんばって、がまんして、歯を食いしばって、そしてご褒美を手にする。がまんした瞬間に感じた苦痛がひどければひどいほど、ご褒美は輝いて見える。すごいものに見える。それは心の高低差がすごく大きいから。</p>


<p>私自身は、ずっと不安がないように生きることを心がけていました。心の高低差を小さくするような生き方。</p>
<p>でも大人になって、けっきょく自分が何をしたいのかわからなくなったときに、心の高低差を小さくし平坦すぎる生き方に原因があるんじゃないかと考えるようになり、それじゃあ、と不安なことに挑戦する気力が生まれました。</p>

<p>そして実際に不安なことに挑戦してみると、その後に与えられた何気ないもの・出来事がすばらしく楽しく思え、自分の考えは間違っていなかったなと感じました。</p>


<p>苦痛との落差、それが楽しさの正体だと思います。だから、岡本太郎さんの言葉にはすごく励まされました。</p>]]>
    </content>
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    <title>「忙しい」と言わずにあきらめる</title>
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    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2008://10.1191</id>

    <published>2008-03-25T02:57:58Z</published>
    <updated>2009-08-26T13:56:06Z</updated>

    <summary>忙しいときは「忙しい」と言いたいけれど、言っても用事は片付かないので、「忙しい」と言わないことにしました＾＾</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="忙しい" label="忙しい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>忙しい！！と感じることはしょっちゅうです。が、「忙しい」と言わないことにしています。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>忙しいと言えば、もっと忙しく感じる</h3>
<p>口に出したことは、自分の耳に入ってくる。
自分が口にしたネガティブワードは、一番そばにいる自分の耳に最初に届き、最後まで残ると思います。</p>

<p>だからネガティブな言葉は極力口にしないほうがいいというのが私の考え。<br />
★過去に書いた記事：<a href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/few_stress.html">ストレスがたまる表現を避ける</a></p>

<p>「忙しい」と言えば「忙しい」という言葉が自分の耳に届き、「私は忙しいんだ」という気持ちが強まる。その結果、用事は増えていないのに、もっと忙しくなったような気持ちになります。</p>

<p>これは忙しい時に「忙しい」を連呼し、人に八つ当りをくり返していたときに気づいたことで、増えた用事がないのにもっと忙しく感じるというのが、なんだか無駄に辛い・・・。そう思いました。</p>

<p>そこで、<strong>「忙しい」と言わない</strong>ことに決めました。言ってる時間を減らして少しでも用事を片付けようと決めました。</p>

<h4>「忙しい」と言いたくて我慢できないときは具体的に言えばOK</h4>
<p>それでも「キィィィィィーーーッ！！忙しいっ！！！」と言いたくなる日はあります。基本は、グググっと我慢なんですけれど、それも我慢できないときも多々あり。。。</p>

<p>そんなときはせめて具体的に言うようにしています。</p>
<p>「郵便局行って、自動車税を支払わなきゃ」「明日は夫のお弁当を作らなきゃいけない日だ」というように、○○が××で忙しいと言います。「忙しい」と抽象的に言うより、この言い方のほうが、気持ちが落ちつく気がするんですよね＾＾</p>

<p>「郵便局行って、自動車税を支払わなきゃ」⇒「会社に行くときに寄り道して支払おう」と頭が働けば、心の中では用事が一つ片付いたようなもの。「よし、まず一つ片付けよう。」と黙々と用事に向き合って用事を減らすと本当に用事は減ります。</p>

<h4>用事の一部はあきらめて</h4>
<p>片付かない用事の山に押しつぶされそうになったら「もう無理ーーっ」とあまり大切でない用事をあきらめます。</p>
<p>本当は全部きちんとやりきりたくてあきらめるのは嫌です。完ぺき主義なので（笑。でも、ここで無理をして意地をはって、その後にイライラするのはもっと嫌。だから明るくあきらめることにしました。</p>

<h4>言ってる時間を節約しています</h4>
<p>「忙しい」と言わない、「忙しい」を言い訳に使わない、と決めて、できないことはあきらめる。そしたら前よりできることが多くなっているから不思議です。</p>
<p>「忙しい」って言ってる時間をあわせるとけっこうたくさんの時間になっていたのかなーって思います。「忙しい」「忙しい」だけで過ごしていたなんてもったいない。</p>
<p>同じ忙しさだったら、せめて言ってる時間を節約してやる！そんなストイックな私です＾＾</p>]]>
    </content>
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    <title>思い切り寝てストレス発散</title>
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    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2008://10.1192</id>

    <published>2008-02-22T15:43:38Z</published>
    <updated>2009-08-26T14:08:53Z</updated>

    <summary>好きなことをして、仕事の嫌なことを忘れてストレス発散するという人がいますよね。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスを発散する方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="睡眠" label="睡眠" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>好きなことをして仕事の嫌なことを忘れてストレス発散するタイプの人がいます。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>寝ている間はイライラできない！</h3>
<p><span class="bold_red">趣味でストレスを発散する</span>方法。カッコいいなぁって思います。</p>
<p>でも私にアクティブな趣味はなし。私はサーフィンはしないしダイビングもしない。釣りもやらないし、ジョギングも止めちゃった。趣味は何ですか？って聞かれたら、「ＨＰを作ることです」とか答えちゃいそうなぐらい<span class="bold_red">動く趣味が少ない</span>です。</p>
<p>だから<span class="bold_red">趣味でストレス発散は苦手</span>。</p>
<p>そんな私がストレス発散に一番良くやることは、<span class="bold_red">「何もしないで体を休める」つまり「寝る」</span>ことです。</p>
<p>あー、カッコ悪い＾＾；</p>
<p>でもしょうがないんですよ、何もしないことが一番ストレス発散になるんだから。</p>
<p>私、人は<span class="bold_red">体力と気力</span>の二つのエネルギーで活動していて、この２つは<span class="bold_red">「気力が少ないときは体力がそれを補う」「体力が少ないときは気力がそれを補う」という関係</span>だと思っています（<a href="http://heart.chiitsumo.com/value/value03.html">私が大事にしようと思う事</a>を参照して下さい）。</p>
<p>気力が少ない時＝ストレスがたまっている時で、こういう状態の時は体力がないと乗り切れないので「なにもしないで体を休める」事が大事だと思うんです。</p>
<p>実際、何もしないでも十分に休んだ時はストレスも少なくなってるものです。</p>
<blockquote cite="http://www.1101.com/suimin/inoue/2008-02-18.html" title="眠りながら銃は取れない">
<p>気も立ちませんから、<br />
いらいらすることもないし、<br />
キレるなんてこともしないし、<br />
のんびりできるんで、いろんな意味で非常に大事なことなんです。</p></blockquote>
<p>睡眠研究の井上昌次郎先生と言う人が<a href="http://www.1101.com/">ほぼ日刊イトイ新聞</a>のなかの「眠りながら銃は取れない」と言う記事でおっしゃっていた言葉です。</p>
<p>確かにそうだ（笑。寝てるだけでストレスが減ってるもん、、、と妙に納得。「寝てストレス発散」というアイディアに自信持っていいんみたい＾＾ｖ</p>
<p>アクティブな趣味がないけど、「趣味は寝ること」でいい！存分に<span class="bold_red">寝るという趣味でストレスを発散</span>してやるぞー。</p>]]>
    </content>
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    <title>私の占いの使い方</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/post_2.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1193</id>

    <published>2007-10-23T00:55:05Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:22Z</updated>

    <summary>信じる信じないにかかわらずついつい試す占い。私が占いを読んで、どんな風に考えたり...</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>信じる信じないにかかわらずついつい試す占い。私が占いを読んで、どんな風に考えたりしてるかちょっと紹介します。</p>
<p>それにしても、「占いを使う」って傲慢な表現。。。ゴメンなさい、占い師の方々。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>自分に都合よく解釈</h3>

<h4>私は占いを信じるか</h4>
<p>まず、私は占いを信じるタイプかどうか。</p>
<p>うーん、微妙。というのは、私は占いを読んでもすぐに<span class="px14_bold">忘れる</span>んです。占いを読んで、その後の行動を決めることはほとんどない。全くないと言い切れないところに<span class="px14_bold">Rittyも女子である</span>という訴えがにじんでますが、無視してください（笑。</p>
<p>細木数子さんの六星占術は自分でも比較的真面目に読んでるほうだと思うけれど、それでも忘れてる。<span class="px14_bold">健康に注意</span>という部分を参考にするぐらいです。</p>
<h4>忘れるのになぜ占いを見るのか</h4>
<p>小見出しの末尾が「～のか」になってますね。語ってる感じ。居酒屋のおっさん風になってきました。</p>
<p>私が占いを見る理由は二つ。「自信探し」と「言い訳探し」。</p>
<p>「自信探し」というのは、占いのなかに褒め言葉を見つけて喜ぶことです。占いの内容を人に話して「私の良い所アピール」することもあります。あ、<a href="http://blog.chiitsumo.com/cat9/kamon.html">このブログ</a>がその例です。</p>
<p>私は「自分のことを否定されないか」という恐怖が人より大きいと思います。こう見えて（けっこう個性的な人間なんで、幼少期は馴染めないこと、理解されなくて否定されることが多かった）。</p>
<p>そこで占いを利用するようになりました。占い結果は他の人の言葉で私を表現しているので、私の言葉より信じてもらえるだろうという気持ち。</p>
<p>私としても、占いを読むことで、「あ、そうやねん！私、そう言ってほしかってん！！」と心強くなって自信が湧いてきます。だから占いをつい読んでしまう。</p>
<p>納得いかなかったり、平凡だったりすると「へー」って右から左へ受け流すだけです。でもあまり平凡な結果ってないですね、占いは。人生は波乱万丈が当たり前なんでしょうか？</p>
<p>二つ目の「言い訳探し」というのは、占いの中に「今は上手くいかない時期です」という趣旨の言葉を見つけて、自分のせいではないと慰めること。<span class="px14_bold">あきらめ</span>るための口実にする、ということです。</p>
<p>「今日は何をやっても上手くいかないでしょう」と言われると不安です。でも、上手くいかないことがあった<span class="px25_bold">後</span>で占いを見て「今日は上手くいかない日やったんかー」と思うと気持ちが軽くなります。これが「言い訳探し」。</p>
<p>ストレスをためにくいものの見方で紹介した「<a href="http://chiitsumo.com/heart/few_stress08.html">理由探しを止めてみる</a>」に役立つ占いの使い方です。</p>
<h4>どちらもストレス軽減になる</h4>
<p>いずれにせよ、占いの使い方って人それぞれ。占いはすでに定まっていることを占い師を通じて知るだけだ、という見方もあると思います。</p>
<p>だけど、すでに定まっていて変えられないことなら、わざわざ先に知りたくはないです。私が占いを見るのは今の自分が楽になったり、将来やることを決める助けが欲しいから。だから、決まっているなら占いは見たくない。</p>
<p>結局、私の占いの使い方は、「自分が楽・楽しくなるために役立てること」です。貪欲なのです、幸せに対して。。。</p>]]>
    </content>
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    <title>強さとは笑顔でいること</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/value/post.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1194</id>

    <published>2007-10-17T12:46:54Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:22Z</updated>

    <summary>笑顔は体と心を軽くする、という話は一人で「にぃ縲怐vで、ストレス発散で書きました。...</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="私が大事にしようと思う事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>笑顔は体と心を軽くする、という話は<a href="http://chiitsumo.com/heart/reducing_stress.html">一人で「にぃ縲怐vで、ストレス発散</a>で書きました。</p>
<p>今回は、<a href="http://chiitsumo.com/heart/r_stress/index.html">ストレス発散</a>とは違う視点で笑顔について考えてみたことを書きます。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>笑顔は強さのバロメーター</h3>
<p>2007年9月5日の日記に「笑顔は強さのバロメーター」という言葉をメモしました。</p>
<p>もともと私は「人間、強くなくたってええねん。」という考えを持っているので、「強い」ということがどんなことかあまり考えていませんでした（参照：<a href="http://chiitsumo.com/heart/word02.html">誰より強くなりたい？</a>）。</p>
<p>強くならないとダメ、という考え方に賛成できないんですよね。弱いなりの戦い方はあるんだ、と思うから。</p>
<p>だけど、ふと「強さってなんだろう？」という疑問が心に浮かびました。アンチ強い・弱い派の私ですが、自分に足りないものを日々考えていると、避けられない疑問でした。</p>
<h4>強さとは何かを、自分なりに考えた</h4>
<p>その時の私は、「踏ん張れない自分」「人のせいにする自分」「言い訳を用意する自分」を少し直したいと思っていました。で、何が足りなくて、何が足りてるのかを考えているときに、「強い」といわれるアスリート達のことを考えていたら「強いってなんや？」という疑問がわきました。</p>
<p>強くなくていいと思いながら、一度心にわいた疑問を解かずにいられない性格の私は、メンタル面の強さについて、ぼんやり考えました。頭の片隅に何ヶ月も置いたまま考え続けました。</p>
<p>「へこたれない」「失敗を恐れない」「挑戦し続ける」「物怖じしない」など、聞いたことがある言葉が浮びました。が、「へこたれない」「失敗を恐れない」「挑戦し続ける」「物怖じしない」などは確かに強い人にみられる態度や行動です。が、「強さってなんなんやろー？」という疑問の答えそのものではないように思いました。私には違和感がぬぐえなかった。</p>

<h4>その人は笑っていた</h4>
<p>テレビのドキュメンタリー番組などで、惹きつけられる笑顔の人っていますよね。「ああ、すごいがんばってるんだ、この人は」と感動して泣いてしまうような笑顔をした人。</p>
<p>涙なしではいられない感動のドキュメンタリー番組が好きな私は、がんばっているひとの姿を見るのが好きでした。「この人、こんなに辛いのに笑顔だよ。すごいね。私にはできないよ。」と言っては、その笑顔から元気をもらっていました。</p>
<p>ところがある時、「この人たち、なんで辛いときにも笑顔でいられるん？」と思いました。同時に「それが強さ！？」と思いました。</p>
<p>その後、自分が悲しくなったときや辛くなったときに笑顔でいようと試してみました。すると、残念。私にはできませんでした。頭では「笑顔を試そう」とわかっていますが、続かない。悲しいときには悲しい顔。苦しいときには苦しい顔。ちょっとやそっとじゃ、笑顔になれないことを知りました。</p>
<p>自分が試してみて、苦しいときに笑顔でいることは、心が強くないとできないことを知りました。苦しいときに苦しい顔をして、回りに人に苦しさを表現することはごく自然なことです。その自然に逆らって笑顔でいることは、言葉を省きたいときでも「私は今苦しいんです」と言葉にできる強さを持っていることの現われだと思いました。</p>
<p>悲しいとき、「誰か私の悲しさを察してよ」と悲しい顔をするのは自然なことです。笑顔でいれば周りは私が悲しいことに気付きません。誰も私の悲しさを癒そうとしてくれない。だって、私が悲しんでいることがわからないから。</p>
<p>悲しいときに笑顔でいるということは、つまり、自分で言葉で「私は悲しいです」といわなければ回りが気付いてくれない状況を受け入れられるということなのです。それはこころが強くないとできないでしょう。</p>
<p>テレビの中のその人が、とても苦しい状況にありながら「しょうがないですよね。がんばるしかないです。」といいながら本当に笑顔でいたことが忘れられません。彼女は本当に強い。</p>
<p>だから<strong>苦しいとき・悲しいときに笑顔でいられること</strong>、それが「強さとは？」の答えだと思いました。</p>]]>
    </content>
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    <title>失敗は本当の自分との出会いと考える</title>
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    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1195</id>

    <published>2007-09-30T02:29:47Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:22Z</updated>

    <summary>失敗すると誰だって落ち込みます。落ち込むということは、次に同じ失敗をしないための大切なハードルで、必要なストレスです。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>失敗すると誰だって落ち込みます。落ち込むということは、次に同じ失敗をしないための大切なハードルで、必要なストレスだと思います。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>失敗しても落ち込みすぎなくていい</h3>
<h4>失敗したら落ち込むのは当然</h4>
<p>失敗すると誰だって落ち込みます。落ち込むということは、次に同じ失敗をしないための大切なハードルで、必要なストレスです。</p>
<p>失敗したときにストレスを感じたからこそ、二度と同じストレスを感じたくないという欲求が生まれて、同じ失敗を避けるにはどうしたらいいか？と考え・行動するようになるんですよね。だから成長するには失敗して落ち込むのは当たり前です。</p>

<h4>失敗しない自分という錯覚を捨てる</h4>
<p>失敗して落ち込んでストレスを感じるのは当然、というのはわかった。しょうがないことと思うことにしよう、としてもズルズルと落ち込みを引きずってしまう時があります。何度か同じ失敗をくり返しているときなんて、結構ズルズル落ち込んでしまいますよね。私はそういうときがありました。</p>
<p>そこで考えて試したことが、「失敗＝自分が足りないところの発見」と人ごとのように受け止めてみる努力でした。</p>
<p>私は「余計な事を言う」という癖を止めたいと思っていますが、なかなか止められず余計なことを言うたびに落ち込んで、その落ち込みをズルズル引きずっていました。理由は、「自分は余計な事など言わない人間だと思いたい」という殻です。</p>

<p><span class="bold_red">現実の自分と理想の自分のズレはストレスの原因</span>で、失敗したときに落ち込みを引きずるというのは、自分はそんな失敗をしない人間だという理想像が固すぎて、失敗をした自分の現実を受け入れられないとき起こります。</p>
<p>だから、「自分の足りないところを自分で見つける」というのは大切なことです。
これは、「開き直って気にするな」ではなく、<span class="bold_red">「足りない自分も受け入れていく」</span>ことを意味します。
本当の自分を見つける、いわば<span class="bold_red">自分探し</span>です。</p>
<p>だから、失敗したときは、少し落ち着いてから、
<span class="bold_red">「あっ、私ってこういうところがあるんだ」</span>と声に出すようにします</p>
<p>反省も自己改革も、<span class="bold_red">まずはこの一言から</span>始めるようにします。</p>
<p>そうすると、理想と現実のギャップが想定内の事になって、慌てたり落ち込んだりすることが少なくなります。</p>]]>
    </content>
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    <title>ストレスがたまる表現を避ける</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/few_stress.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1196</id>

    <published>2007-09-28T01:38:46Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:22Z</updated>

    <summary>「また間違えてしまった」「私、いつも失敗するんです。」「お前は失敗ばかりする！」など、日ごろよく口にするし耳にもする表現がストレスの原因になっています。「いつも」「また」「ばかり」などのストレスがたまる表現を避けることでストレスをためにくくできます。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>「また間違えてしまった」「私、いつも失敗するんです。」「お前は失敗ばかりする！」など、日ごろよく口にするし耳にもする表現がストレスの原因になっています。「いつも」「また」「ばかり」などのストレスがたまる表現を避けることでストレスをためにくくできます。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>「いつもダメ」を「今回は・・・」に変える</h3>
<p>私はうっかりミスが多いです。</p>
<p>お料理に火を十分通していなかったり、食材の保存に失敗して腐らせてしまったりすることもあります。
そんな時に思うのが「私は<span class="bold_red">いつも</span>こんなミスをする」です。</p>
<h4>錯覚で失敗を大きくしない</h4>
<p>真面目（生真面目）な人に多い、失敗は大きく・成功は小さく見えてしまう錯覚。その錯覚が自分や他人を必要以上に縛りつけてストレスを増やす表現が「いつも」「また」「ばかり」です。</p>
<p>たまたま２、３日ミスが連続していただけなのに「いつもミスする」「ミスばっかりや」と言う人がいます。冷静にミスを計れば「ここ２、３日ミスが出てるね」となるハズなのに、「ここ最近ずっとミスしてるね」となる。もう仕事になっていない感じがしてストレスがたまります。</p>

<h4>冷静でないときのために日ごろから表現を選ぶ</h4>
<p>「<span class="bold_red">いつも</span>縲怩ｷる」「縲鰀<span class="bold_red">ぱっかり</span>する」
「<span class="bold_red">また</span>縲怩ｵてしまった」という表現は、気づかないうちに、自分を失敗しかしないダメな人間だと思ってしまう表現です。巷では何気にフツーに使われている表現ですが、心が弱っているときに聞くと、常に自分がミスばかりしている、と勘違いしてしまう怖い表現だと思います。</p>
<p>確かに、人に比べて私はよく転ぶし、片付けたものの場所を忘れることも多いです。
かといって毎日転ぶわけではないし、片付けたものを片っ端から失くしてしまうわけではありません。これは当たり前のことです。だけどストレスがたまっている時には当たり前じゃなくなるから怖い。</p>
<p><span class="bold_red">ミスをしていないことの方がはるかに多い</span>。なのにそれを忘れてパニックになったり、さらに落ち込んだりしてしまう。だからミスしてないことがほとんどな事実を忘れないことが大切です。</p>
<p>そこで私は普段から<span class="bold_red">「いつも」「また」「ばかり」などの言葉を選ばない</span>ようにしています。そんな言葉遣いが無意識で出来ていれば、ストレスがたまって冷静でないときに、無意識に自分や他人を追い詰めることが少なくなります。</p>]]>
    </content>
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    <title>褒め言葉の裏を読まない</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/20070619post_9.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1197</id>

    <published>2007-06-19T01:25:17Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:23Z</updated>

    <summary>褒め言葉には「ありがとう」と答える習慣をつけることでストレスを少なくします。</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>友人から「俺って『楽観的な性格ですね』とよく言われるんだけど、それっていい意味？悪い意味？」と聞かれました。</p>
<p>明るい雰囲気を何よりも大切にする友人は、どんなときも明るく楽しい言葉を選ぶように努力する人です。が、すこしうっかり屋さん。</p>
<p>「いい意味でもあるし、悪い意味でもあるね~」といいながら、二人で苦笑いしていました。</p>]]>
        <![CDATA[<h3>褒め言葉に皮肉が入ってる！？</h3>
<p>「楽観的」という言葉を「軽率な」「思慮深くない」「浅はかな」などの悪い意味で使う人がいます。皮肉や嫌味を言うときに使うんですね。ストレートに批判することをはばかるときなどに多い使い方です。</p>
<p>このように褒め言葉に皮肉が込められているとき、その皮肉に気付いてしまう人がいます。謙虚な人が多い日本人は、ほとんどが皮肉に気付いてしまうのかもしれません。</p>
<p>そしてつい、「いやいや、私もいろいろ苦労してるんですよ。」などと「自分は軽率ではないですよ」という言い訳をさせられることって結構あります。</p>

<h3>褒め言葉の意味を正しく受け取る</h3>
<p>しかし、褒め言葉として使われる言葉にはいい意味しかありません。</p>
<p>例えば先ほどの「楽観的」には、「すべての事を良いほうに考え、心配しないこと」（岩波　国語辞典より）という意味しかありません。最近は「ポジティブ」という言葉が使われることも多くなりましたが、「楽観的」「ポジティブ」ともに前向きな心の持ち方を意味するいい意味の言葉なのです。</p>
<p>なのに、皮肉や嫌味につかわれると、私達はつい、悪い意味を想像・理解して、正しい意味を見失ってしまいます。誰だって皮肉や嫌味を言われたくないから、逆に皮肉や嫌味に敏感なんですよね。</p>
<p>だけど、皮肉や嫌味をいう人の意図に乗るって悔しくないですか？正しい・いい意味があるのに、相手の使おうとする悪い意味しか見られないのなら、そんな自分に私は悔しいです。</p>
<p>だから私は「楽観的」だね、と言われた時は、「そうなの。ありがとう。」と答えるようにしたいと思いました。褒め言葉を正しい意味で受け取り、自分の長所として素直に喜ぼうと思いました。</p>
<h3>皮肉さんに認められなくてもいい</h3>
<p>生真面目であればあるほど、言葉の裏側に込められた皮肉や嫌味を真面目に受け止めようとする気がします。そして感じるストレス。</p>
<p>「前向きでいようとしているのに、浅はかだと思われているなんて」<br />
「心配させると悪いから明るく振舞っていたのに、鈍感だと思われたなんて」</p>
<p>周囲のために人知れずさりげなく行っている努力を感じられない人は多いです。おそらく私もまた人の努力を軽んじてしまう人間の一人でしょう。</p>
<p>なのに私達はさりげない日々の努力を認めて欲しい、せめて否定されたくは無いと思いながら生きています。だから言葉の裏側に込められた皮肉や嫌味などのネガティブメッセージに言い訳したくなる。</p>
<p>だけど言葉を裏返しに使ってしか自分の気持ちを伝えられない人に、自分の努力を認めてもらう必要があるでしょうか？言い訳をすることで、自分が本当に報われるでしょうか？</p>
<p>私は皮肉や嫌味を言う人にまで自分の努力を認めてもらわなくていいと思うようにしています。</p>
<p>そんな人を相手に、褒め言葉の裏側を読み取ったり、言い訳・説明をすることはとてもストレスがたまるし、自分の努力が報われると思わないからです。</p>
<p>だから、褒め言葉をいわれたときには裏を読まない！言い訳もやめる！と自分に宣言しました。「そう？ありがとう！」と褒められたお礼を口にするようにすれば、皮肉や嫌味も褒め言葉になります。</p>
<p>褒め言葉を正しい意味でうけとるようにすることで、自分を肯定する習慣。ストレスを少なくするために役立つ習慣だと思います。</p>

<dl class="entry-more-ps">
<dt>嫌味や皮肉も上手に生かそう♪</dt>
<dd>嫌味や皮肉に言い訳をしない、と書きましたが、嫌味や皮肉が自分に役に立つときもあります。</dd>
<dd>自分が思いもよらなかった批判を受けることで、自分とは違うものの見方があることを教えられることがあります。腹の立つことであっても、そんな風に思う人もいるのだな、と軽く受け止めておくだけで、視野が広がります。</dd>
<dd>嫌味や皮肉は、相手の表現方法に問題があるため真に受けて落ち込んだり怒ったりする必要はないと思いますが、自分とは違う視点があることを気付くきっかけにできればいいと思います。</dd>
<dd>失敗を成功に変えるといいますが、皮肉や嫌味を反面教師にしたり、自分を豊かにするきっかけにできれば、嫌な出来事もラッキーな出来事に変えられる気がします。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>カッコつけな私で行こう！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/f_stress/20070515post_8.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1198</id>

    <published>2007-05-15T02:35:52Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:23Z</updated>

    <summary>昨日スガシカオの「PARADE」を 聴きながらこんなことを思っていました。 私は...</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>昨日スガシカオの「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2FPARADE-%E3%82%B9%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%82%AA%2Fdp%2FB000GIWACC%3Fie%3DUTF8%26s%3Dmusic%26qid%3D1179197623%26sr%3D8-2&tag=chiritsumo01-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">PARADE</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=chiritsumo01-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」を<br />
聴きながらこんなことを思っていました。</p>

<p><br />
私はカッコよくありたいけれど、<br />
実際の私はカッコよくないなぁ。</p>

<p>実際の私がカッコよくないんだから、<br />
私はカッコつけちゃいけないのかなぁ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>とても小さな事ですが、<br />
私はその小さな事が気になる性格みたいです。</p>

<p><br />
「カッコつける」</p>

<p><br />
私の中で一番最初に思う浮かぶイメージは<br />
「恥ずかしいこと」<br />
という言葉。</p>

<p>カッコつけてるけれど<br />
残念ながらカッコよくない人を見て<br />
（馬鹿にして）笑ってきたからだと思います。</p>

<p><br />
今思うと、<br />
人のことを簡単に（馬鹿にして）笑うこと自体が<br />
恥ずかしいことでした。</p>

<p>私は自分らしく一生懸命に行動できる人を<br />
羨ましく思っていました。</p>

<p>私自身は失敗を人に見られるのが嫌で、<br />
失敗を人に見せないことを優先し、<br />
一生懸命行動することができなくなっていたから。</p>

<p>嫉妬ですね。</p>

<p><br />
一生懸命行動する人を見て、<br />
バカにすることで自分は彼・彼女より出来るんだと<br />
妄想しながら自分を慰めようとしていたんだと思います。</p>

<p>当然、彼・彼女らに嫉妬する自分なんて認めない。<br />
なぜ私が彼・彼女らに嫉妬を！？<br />
という独りよがりな気持ちを抱いてました。</p>

<p><br />
その結果、<br />
カッコつけてもキメられないなら<br />
カッコつけることは恥ずかしいこと、<br />
という方程式が出来てしまった。</p>

<p><br />
でも、、、<br />
スガシカオの「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2FPARADE-%E3%82%B9%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%82%AA%2Fdp%2FB000GIWACC%3Fie%3DUTF8%26s%3Dmusic%26qid%3D1179197623%26sr%3D8-2&tag=chiritsumo01-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">PARADE</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=chiritsumo01-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」を聴いているうちに、</p>

<p>やっぱり自分はカッコよくありたい</p>

<p>と願っていることに気付きました。<br />
たとえ人にカッコイイと思われなくても<br />
私はカッコよくありたい。</p>

<p><br />
今、カッコよくない自分。<br />
それは将来、カッコよくなるために<br />
成長しなくちゃいけないってだけのこと。</p>

<p>課題は山積みだけど（笑、<br />
恥ずかしい思いもいっぱいすることがミエミエだけど（笑、<br />
それはそれ。</p>

<p><br />
本当にカッコイイ人になるために、<br />
今の私はカッコつけで行こう！</p>

<p>そう思いました。</p>

<p>＊＊＊</p>

<p>音楽：スガシカオ[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2FPARADE-%E3%82%B9%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%82%AA%2Fdp%2FB000GIWACC%3Fie%3DUTF8%26s%3Dmusic%26qid%3D1179197623%26sr%3D8-2&tag=chiritsumo01-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">PARADE</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=chiritsumo01-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />]<br />
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=chiritsumo01-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000GIWACC&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>不安は消さずに置いておく</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://heart.chiitsumo.com/word/20070509post_7.html" />
    <id>tag:heart.chiitsumo.com,2007://10.1199</id>

    <published>2007-05-08T22:51:27Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:25Z</updated>

    <summary>不安になること、ありますよね。ここぞ、というときだけでなく、昨日やったあの仕事！...</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
    </author>
    
        <category term="心に響く言葉たち" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://heart.chiitsumo.com/">
        <![CDATA[<p>不安になること、ありますよね。ここぞ、というときだけでなく、昨日やったあの仕事！などなど。日常のいたるところでやってくる不安。「不安を打ち消す方法」なんていうタイトルの本は、探せば必ず見つかるといってもいいのではないでしょうか？</p>]]>
        <![CDATA[<h3>【強さとは不安を脇に置いておけることである】</h3>

<p>不安を感じるたびに、不安を感じる必要はないと自分に言い聞かせてきました。</p>

<p>「昨日の夜、あれだけ確認したのだから」<br />
「いままで○○時間勉強したのだから」</p>

<p>「失敗しても結果は大したことではないのだから」</p>

<p>などなど。不安を感じる必要がない理由を一生懸命さがそうとしてきました。だからといって不安を打ち消すことができないことは多く、特に肝心の場面・ここぞという時こそ不安は大きくなるばかりでした。</p>

<p><br />
それでも不安に負けてばかりではありません。消えない不安を心の中で抱きつつ取り組んだことが上手くいった経験、思い出せばきっと皆にあります。</p>

<p>大切な試合、大切な試験、大切なプレゼンテーションの直前。どうしようもなかった不安が体中に蔓延し、筋肉を硬直させるあの時間。悪い想像が頭をよぎり、また別の悪い想像がわいてくる。。。</p>

<p>ところが試合に勝利した、試験で力を十分出せた、言いたかったことがプレゼンテーションできたその時、空気中に霧散するかのように不安は消え去ります。それまで経験もしなかったような喜びが不安に取って代わり、心を満たします。</p>

<p>直ぐに思い出せなくても経験があるハズの成功体験。時間をかけてでも思い出してほしいです。思い出せた成功体験の直前の自分の心の中を。</p>

<p><br />
不安とともに心にあったもの。それは、勝利、合格、やりとげてやるという意志に支えられた集中力ではなかったでしょうか？苦手だった動作を無我夢中で確認する集中力。最後まで苦しめられたページの暗記を頭の中でくり返す集中力。不安が頭をよぎった次にはそれらの集中力が頭をよぎる。</p>

<p>不安⇒集中⇒不安⇒集中</p>

<p>をくり返す中で、最後までこのバランスを保ち続けられたときに私は目標を達成してきた気がします。</p>

<p><br />
不安を打ち消すことに必死になればなるほど、頭の中は不安でいっぱいになります。だから不安を打ち消すことに躍起になるのではなく、不安は不安。消えないものとして放っておく。</p>

<p>不安を心の中で放置しながら、今やるべきことをやる集中力。その集中力を持つことが強さだと思います。無知で経験のない人がビギナーズラックを手にするとき、それは強いとはいいません。なぜならビギナーズラックを手にした人の心の中には不安が無いからです。</p>

<p>不安は新しい知識や経験を積み重ねてきたからこそ感じるものです。ならば不安を感じられる人には新しい知識や経験が備わっているはずです。自信を持ってやるべきことに集中しましょう。</p>

<p>自分にはその知識や経験が足りないから不安を感じるんだ、と思うでしょうか？でも過去の成功体験は、自分に足りない何かではなく、自分が持っている何かから目をそらさずにいたときに生まれてきました。なんだっていいと思います。見つかった事を小さな事などと思わないことです。小さな事と感じるようになったのは自分が大きくなったためだから。</p>

<p><br />
強さとは不安を脇においておくこと。それは不安を打ち消すことを止め、不安を感じるまでに成長した自分を信じる集中力を高めること。</p>

<p>私は常づね、必ずしも強くある必要はないと思っていますが、どうしても強くあらねばならないとき、つまりここぞと言う人生の勝負時には不安を否定せず、不安に思う自分を受け止めて勝負に臨もうと心がけています。</p>

<p><br />
参考：「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89%E2%80%95%E5%8E%9F%E4%BD%9C%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB%E3%80%8C%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5%E3%80%8D%E3%82%88%E3%82%8A-6-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E9%9B%84%E5%BD%A6%2Fdp%2F4063286851%3Fie%3DUTF8%26qid%3D1178677645%26sr%3D8-13&tag=chiritsumo01-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">バガボンド</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=chiritsumo01-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />」井上 雄彦 (著), 吉川 英治 (原作)　第六巻</p>]]>
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    <title>イライラしないための視野の広げ方</title>
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    <published>2007-04-28T01:39:23Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:26Z</updated>

    <summary>ちょっとしたことでイライラすることがありますよね。例えば、、、...</summary>
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        <name>Ritty</name>
        
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        <![CDATA[<p>ちょっとしたことでイライラすることがありますよね。例えば、、、</p>]]>
        <![CDATA[<p>もう10年ほど前、少し離れた二つの駅を電車の乗り換えのために、いつものように大また早足でズカズカと歩いていたときのことでした。一人の老婦人がゆっくりとしたペースで歩いているのが目に入り、その瞬間、私は「歩くのが遅そうなひとだな。”邪魔”だな。」と思いました。</p>

<p>老婦人の歩くペースは、20歳過ぎの私の歩くペースの５分の一程でした。</p>

<p>（遅い。遅い。遅い。）</p>

<p>心の中で受験生が英単語を暗記するときのように、遅いと心の中でくり返す私。イライラが募ってきました。遅い遅い遅い。。。</p>

<p></p>

<p>そのときの道の状況。実は、その老婦人以外の歩行者がほとんどいなくてガラリとした状態でした。私はその老婦人の脇をすり抜けるだけで目的の駅にたどり着ける。なのに自分のペースであるいている老婦人をみて遅い遅い遅い、、、って。なんでだろう。理由は、あります。でもそれよりも聞いて欲しいことは、その直後の私の行動。</p>

<p>グングンと老婦人の背中が近くに迫ってくる中で、私はある事を思いました。</p>

<p>「老婦人のペースに合わせて歩いてみたら、<br />
この風景はどんな風にみえるんだろう？」</p>

<p><br />
私は老婦人の３メートルほど後で歩くスピードを緩めました。そして、その婦人と同じ速度であるいてみました。いーっぽ、にぃーほ、さぁんぽ。</p>

<p>初めは「遅すぎて、暇だな」と思いました。足の筋肉に力を込めて歩くことだけに集中していた早足のときは歩くことだけで忙しかったから、老婦人のペースで歩くことは暇でした。じれったさが心に満ちてきそうになった次の一瞬。</p>

<p>「ああ、空がきれいだ」</p>

<p>と思いました。その日は確か秋晴れでした。今もはっきり覚えています。</p>

<p>レンガ色のタイルが敷き詰められた通路には落ち葉が散り、木々はその葉をほとんど落とし、木々の向こうには軍艦マーチが響くパチンコ屋の建物のグレーの壁。そして、その壁の上まで目を向ければ、、、</p>

<p><br />
雲ひとつない秋の空</p>

<p><br />
視野の端に引っかかってるのは、落ちそうで落ちない枯れ葉。左脇を人が対向していく。また一人、また一人。今度は後から誰かが私と老婦人を追い抜いていく。前方にはファーストフード店の旗がフラフラと風に揺さぶられている。。。</p>

<p><br />
「ゆっくり歩くと、色んなものが見えるんだ」<br />
「おばあさんからみた、この通りはこんな風景なんだ」</p>

<p><br />
自分が今まで持っていた視野がぐるりと回転した感覚でした。</p>

<p>せかせかと歩いているときに見えていたのは、改札へと続く階段の上り口だけだったのに、今は通路に落ちている落ち葉から快晴の秋空まで見える。ノロくて邪魔に思えた老婦人が、とっておきの風景を見ることができる豊かな人生の先輩に思える。</p>

<p>老婦人の３メートル後で私が手にしたものは、自分と正反対の人の視野でした。</p>

<p></p>

<p>それ以来、私の世界の見え方が変わりました。こっちとあっち。今まで一つだったものが二つになりました。自分が仕事で急いでいる時も、隣の人は休日でのんびりしているかもしれない。自分が休日でのんびりしている後で、誰かが忙しく働いているかもしれない。そんな風に反対側を想像するようになりました。</p>

<p>そしたら不思議。人にイライラすることが減りました。勝手な八つ当たりが減ったんでしょうか。理不尽に誰かに苛立ちを感じることがなくなり、相手の立場を想像し、「しゃーないな」と思うようになりました。時には「真似したら楽しそう」と思うようになりました。</p>

<p></p>

<p>反対側から見えるものを想像してみたり、実際に体験してみること。それがイライラしない視野の広げ方かなぁって思いました。</p>]]>
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    <title>「夫婦喧嘩」する？しない？</title>
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    <published>2007-04-23T02:46:25Z</published>
    <updated>2009-08-26T07:58:26Z</updated>

    <summary>夫婦喧嘩をした、という話はよく聞きます。言い争いから物の投げあい、果てには殴り合...</summary>
    <author>
        <name>Ritty</name>
        
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        <category term="ストレスをためにくいものの見方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>夫婦喧嘩をした、という話はよく聞きます。言い争いから物の投げあい、果てには殴り合い？？理由は些細なことがほとんどだろうなぁ。</p>

<p>結局は抱えきれなくなったもろもろのストレスを夫婦間で吐きあう感じが夫婦喧嘩だと思う。子供や周りが気遣う割りに、本人達はどこかケロッとしたところもあり、夫婦喧嘩もコミュニケーションの一つなんだろうな～と思うようになってます。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ところがどっこい（古）。うちの夫婦は夫婦喧嘩をしないんです。正確に言うと夫婦喧嘩できない、もしくは夫婦喧嘩にならない。</p>

<p>私は言い争いが嫌いで、夫が怒っているときは、それはもう言葉を選び声のトーンを選び、、、あおるような事をいわないなど必ず我慢します。だから夫婦喧嘩にならず、夫の愚痴を私が聞くという状況になるだけ。私は相手が怒っている場面では自己主張できない性格なんですよ。。。</p>

<p>夫は夫で、怒る私が理屈の通らないことを言ったり、つかみどころのない訴えをしても意に介さない。私が怒るときはひたすら引きこもる感じで、夫を誹謗したり中傷したりはしないので、夫はいつも私の怒りなどどこ吹く風といった調子で聞いてます。「何がいいたいのかわかんないよ～」とか「理屈が通んないでしょ」などなど。私はうまく言葉で表現できないタチなので、直ぐに諦めちゃうから、喧嘩になるまで粘れない。で、喧嘩にならない。</p>

<p><br />
一時期、夫婦喧嘩しない自分達夫婦は本当に仲が良いんだろうか。むしろ、仮面をかぶりあって本当のコミュニケーションを取れない夫婦なんじゃないだろうか。と悩んだときがありました。喧嘩をして気遣いという歯止めがとれて言えたことで知ることって結構あると思うんです。だから私は夫婦喧嘩は夫婦のコミュニケーションだと思ってるんですよね。</p>

<p>ところがうちの夫婦には夫婦喧嘩がない。仲がいいんだ～、と友人には言われるけれど、本当に仲がいいんだろうか？たまに感じる「分かってもらってない。伝わってない。」という孤独感は、夫婦喧嘩できないことが原因なんじゃないだろうか。と一人寂しい気持ちになりました。</p>

<p><br />
結局は比べてただけなんですよね。夫婦喧嘩する夫婦と夫婦喧嘩しない自分達を。私は両親がしょっちゅう夫婦喧嘩してきたのを見て育ったから、夫婦喧嘩はあって当たり前のものと思ってきた。夫婦喧嘩が悪いとか良いとかではなく、夫婦である以上当然生まれるものだと思ってました。だから自分達夫婦が喧嘩しないことを不安に思いました。</p>

<p>実際には、私達夫婦には私達夫婦なりのコミュニケーション方法があって少しずつ色んな体験を経てお互いを理解するようになっている。もしかしたら、私達夫婦にはあたりまえのコミュニケーション方法が他の夫婦には「ホンマに仲ええん？」と疑問感じることかもしれないですよね。でもその独自のコミュニケーション方法が私達二人に合っているなら、わざわざ好んで喧嘩する必要もない、っと。今はそんな風に思ってます。</p>

<p>＊＊＊</p>

<p>夫婦喧嘩でストレスが溜まってる人からすれば「夫婦喧嘩がない事を何で悩むの？」と思うかもしれないけれど、ないならないで不安になっちゃう夫婦喧嘩。</p>

<p>これから夫婦になろうという二人には申し訳ないけれど、夫婦喧嘩とか「わかってくれない！」という孤独感を抱くこと無しに夫婦生活は送れないだろうなぁと思います。夫婦は元々他人だから、婚姻届を出しただけでガチっと合わさるわけじゃない。妻にも夫にもそれまで生きてきた中で身につけた凸凹があって、その凸凹が邪魔をして合わされないもんだと思う。</p>

<p>夫婦喧嘩やその他のコミュニケーションを通じてその凸凹が相手に合わせて磨り減ってきたとき、一つずつパーツが合わさっていくように夫婦の関係も他人から家族へと変わっていくんだと思う。</p>

<p>だから夫婦喧嘩をする・しないにこだわらず、自分達夫婦の夫婦像を二人で作って生きたいなと思います。</p>]]>
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