ちょっとしたことでイライラすることがありますよね。例えば、、、

もう10年ほど前、少し離れた二つの駅を電車の乗り換えのために、いつものように大また早足でズカズカと歩いていたときのことでした。一人の老婦人がゆっくりとしたペースで歩いているのが目に入り、その瞬間、私は「歩くのが遅そうなひとだな。”邪魔”だな。」と思いました。

老婦人の歩くペースは、20歳過ぎの私の歩くペースの5分の一程でした。

(遅い。遅い。遅い。)

心の中で受験生が英単語を暗記するときのように、遅いと心の中でくり返す私。イライラが募ってきました。遅い遅い遅い。。。

そのときの道の状況。実は、その老婦人以外の歩行者がほとんどいなくてガラリとした状態でした。私はその老婦人の脇をすり抜けるだけで目的の駅にたどり着ける。なのに自分のペースであるいている老婦人をみて遅い遅い遅い、、、って。なんでだろう。理由は、あります。でもそれよりも聞いて欲しいことは、その直後の私の行動。

グングンと老婦人の背中が近くに迫ってくる中で、私はある事を思いました。

「老婦人のペースに合わせて歩いてみたら、
この風景はどんな風にみえるんだろう?」


私は老婦人の3メートルほど後で歩くスピードを緩めました。そして、その婦人と同じ速度であるいてみました。いーっぽ、にぃーほ、さぁんぽ。

初めは「遅すぎて、暇だな」と思いました。足の筋肉に力を込めて歩くことだけに集中していた早足のときは歩くことだけで忙しかったから、老婦人のペースで歩くことは暇でした。じれったさが心に満ちてきそうになった次の一瞬。

「ああ、空がきれいだ」

と思いました。その日は確か秋晴れでした。今もはっきり覚えています。

レンガ色のタイルが敷き詰められた通路には落ち葉が散り、木々はその葉をほとんど落とし、木々の向こうには軍艦マーチが響くパチンコ屋の建物のグレーの壁。そして、その壁の上まで目を向ければ、、、


雲ひとつない秋の空


視野の端に引っかかってるのは、落ちそうで落ちない枯れ葉。左脇を人が対向していく。また一人、また一人。今度は後から誰かが私と老婦人を追い抜いていく。前方にはファーストフード店の旗がフラフラと風に揺さぶられている。。。


「ゆっくり歩くと、色んなものが見えるんだ」
「おばあさんからみた、この通りはこんな風景なんだ」


自分が今まで持っていた視野がぐるりと回転した感覚でした。

せかせかと歩いているときに見えていたのは、改札へと続く階段の上り口だけだったのに、今は通路に落ちている落ち葉から快晴の秋空まで見える。ノロくて邪魔に思えた老婦人が、とっておきの風景を見ることができる豊かな人生の先輩に思える。

老婦人の3メートル後で私が手にしたものは、自分と正反対の人の視野でした。

それ以来、私の世界の見え方が変わりました。こっちとあっち。今まで一つだったものが二つになりました。自分が仕事で急いでいる時も、隣の人は休日でのんびりしているかもしれない。自分が休日でのんびりしている後で、誰かが忙しく働いているかもしれない。そんな風に反対側を想像するようになりました。

そしたら不思議。人にイライラすることが減りました。勝手な八つ当たりが減ったんでしょうか。理不尽に誰かに苛立ちを感じることがなくなり、相手の立場を想像し、「しゃーないな」と思うようになりました。時には「真似したら楽しそう」と思うようになりました。

反対側から見えるものを想像してみたり、実際に体験してみること。それがイライラしない視野の広げ方かなぁって思いました。