昨日スガシカオの「PARADE」を
聴きながらこんなことを思っていました。


私はカッコよくありたいけれど、
実際の私はカッコよくないなぁ。

実際の私がカッコよくないんだから、
私はカッコつけちゃいけないのかなぁ。

とても小さな事ですが、
私はその小さな事が気になる性格みたいです。


「カッコつける」


私の中で一番最初に思う浮かぶイメージは
「恥ずかしいこと」
という言葉。

カッコつけてるけれど
残念ながらカッコよくない人を見て
(馬鹿にして)笑ってきたからだと思います。


今思うと、
人のことを簡単に(馬鹿にして)笑うこと自体が
恥ずかしいことでした。

私は自分らしく一生懸命に行動できる人を
羨ましく思っていました。

私自身は失敗を人に見られるのが嫌で、
失敗を人に見せないことを優先し、
一生懸命行動することができなくなっていたから。

嫉妬ですね。


一生懸命行動する人を見て、
バカにすることで自分は彼・彼女より出来るんだと
妄想しながら自分を慰めようとしていたんだと思います。

当然、彼・彼女らに嫉妬する自分なんて認めない。
なぜ私が彼・彼女らに嫉妬を!?
という独りよがりな気持ちを抱いてました。


その結果、
カッコつけてもキメられないなら
カッコつけることは恥ずかしいこと、
という方程式が出来てしまった。


でも、、、
スガシカオの「PARADE」を聴いているうちに、

やっぱり自分はカッコよくありたい

と願っていることに気付きました。
たとえ人にカッコイイと思われなくても
私はカッコよくありたい。


今、カッコよくない自分。
それは将来、カッコよくなるために
成長しなくちゃいけないってだけのこと。

課題は山積みだけど(笑、
恥ずかしい思いもいっぱいすることがミエミエだけど(笑、
それはそれ。


本当にカッコイイ人になるために、
今の私はカッコつけで行こう!

そう思いました。

***

音楽:スガシカオ[PARADE]