あるべき姿にとらわれて、ありのままの自分に蓋をしがちですが、まずは自分からスタートしてみようと思いました。

認めてしまえ。ありのままの自分を

心を寄せる幼なじみのことを悶々と考える自分を、邪念を抱いていると否定しようとする主人公・宮本武蔵に沢庵和尚が言った言葉。

「剣の道を志し修羅の如く己を追い込んでいくのも武蔵、女の夢ばかり見て悶々としているのも武蔵。ぜーんぶひっくるめてのお前なんだ。いいんだ、それで。」

失敗をした時、自分が嫌になります。

そんなときはたいてい、今までと逆のことをして、なんとかそのいやな気持ちから逃れようとしてきました。

「こんな失敗をするのは自分ではない。そんなはずはない。」と現実の自分を否定しつつ、次に同じ失敗をしないように遠回りをする私。

本当は、「自分にはこういう迂闊(うかつ)なところがあるんだな」と私の迂闊(うかつ)な性格をそのまま認めてしまえばよかったんですね。

そして、迂闊(うかつ)な自分が同じ失敗を繰り返さない方法を考える。だれにでも当てはまる方法ではなく、迂闊(うかつ)な自分に一番当てはまる方法を探す。

それが近道だったんですね。

至らない自分、ダメな自分も私の一部。それを認めても、私は私。今までと変わらない。

この言葉のおかげで、そんな当たり前のことに気づき、肩の荷がおりました。

参照元:バガボンド」(井上雄彦・著 吉川英治・原作/講談社)第4巻#36「宝蔵院」