人嫌いだけど、きっかけをくれるのも人
心の節約日記(2015.04.21)
この記事は日記なので、脈略なく話がそれます。そして結論はもっぱら自分のためのものです。
要するに愚痴、それに対する「人は自分を映す鏡だから」で解決した自分のモヤモヤ
何かしようと思ったときに、とりあえず「大丈夫なの?」「上手くいくの?」と言う人がいる。というか、その人の親がいつもそう言ってくるからヘコむ、という話があった。
親が子である自分に「大丈夫なの?」「上手くいくの?」というときは、内心で不安があったり、止めてほしかったりという気持ちがあってその自身のネガティブな気持ちを口に出しているのだと思うのが私のいつものなのですが、その時は別の同年代の女性がいて「人は自分を映す鏡だから」と言って、その言葉が妙に心に引っ掛かった。
引っ掛かった私は、その女性の話を続けて聞きたくない気持ちになり持論(さっき書いたやつ)を話して彼女の言葉をさえぎりました。だから、自分の行動にも引っかかったままその場を後にしました。
ああ、なんだ、愚痴だったのか
人間関係の難しさの最たるものは家族関係であると、阿闍梨が言っていたような気がします。そう、家族(肉親)に対する気持ちは複雑(だと私は感じている)。
で、先ほどの、親がとりあえず「大丈夫なの?」「上手くいくの?」というので嫌な気持ちになるという話と「人は自分を映す鏡」という話。
私が引っ掛かったのは「親でも自分を映す鏡なのか」という感情が湧いたから…と思って、つまり親に対する私の感情が女性の話を受け入れさせなかった…と思ったのでこの記事を書き始めたのですが、どうやら違うことに今気づきました。
私が引っ掛かったのは、親がとりあえず「大丈夫なの?」「上手くいくの?」というので嫌な気持ちになるという話をした人の気持ちに対する返事として「人は自分を映す鏡だから」という言葉は、要らない言葉なんじゃないかなあということ。
「大丈夫なの?」「上手くいくの?」と言われて嫌な気持ちになるのは、自分が感じている不安をあおられるからで、そもそも不安に感じつつも何かをしようとしているときに人に話す理由は、自分の気持ちを奮い立たせたり考えを整理したり、(あわよくば)励ましてもらったりしたいからなわけで、そういうときの受け答えとして「大丈夫なの?」「上手くいくの?」は”期待していたものとは違う”つまり”期待したことを言ってくれない”という話だと思うんですよね。だから、何かしようと思ったときに、とりあえず「大丈夫なの?」「上手くいくの?」と言う人がいる。というか、その人の親がいつもそう言ってくるからヘコむという話は、ようは、期待した返事をくれないから不満という愚痴と言えなくもない。
でね、愚痴なんだから「人は自分を映す鏡」ってことさらに「あなた、その時、自分のやろうとしていることに不安を持っていたんでしょう?それを受け入れないと」と言われても困るというか。
私もそういうレスするときがあるので、気をつけないと。
シチュエーションには納得していない。でも私の人間関係の悩みには気づきになった。
「人は自分を映す鏡」という言葉が、今回親の言動にヘコむと言った彼に役に立ったかはわからないけれど、私は自分以外の人の言葉として「人は自分を映す鏡」という言葉を聞けて良かったと思っています。
私が出会った相手の言動が自分を映しているのなら…と過去に不満を持ったことがある相手の言動を思い出してみたんです。そしたら一つはっきりしたことがありまして。
過去に不満を持ったことがある相手というのは、たとえば、私が極度の緊張を隠し平静を装って妙にハイテンションな状態で一緒にワークショップした人だったり、思うように売り上げが伸びずやろうと思っていたことも中途半端でイライラしていた時に新規事業企画してリードしてくれていた人だったり、自虐ネタにした過去の挫折を鵜呑みにして私をネタにした人だったりと、私が1人で葛藤を抱えきれなくなっているのにそれを自覚していない状態の時に一緒に何かした人だったとわかったんです。
こういうこと、万人が読めるwebページに載せるってどうかと思うかもしれませんが、「書き”出す”」という思考(モヤモヤともいう)を自分の外に出す行為は言葉にする過程で自分にとってわかりやすくなるメリットがあるし、人が読める場所に書くということは読む相手がいるので独り言と違って理解できるように書こうとするメリットがあると思うんですよね。ま、エバーノートとかにプライベートに書いたことも山のようにありますが。
自分のストレスにもっと気づいてあげなよ
わたくし、ここ1年ほど「人と関係を築くのがいやだ」と言い続けていていまして、それには相手に対する自分の行動に自信が持てないから、人と何かしようとするとストレスになり、それを乗り越えて何かを達成した経験も乏しいので乗り越えようという気持ちにもならない、という状況だったのだと思います。
だけど、今日この記事を書ききって、一つ自分の事がわかりました。「葛藤を抱えきれなくなっているのにそれを自覚していなかった」自分が人間関係を複雑だと感じる原因の一つだということ。要は、自分のストレスにもっと気づいてあげなよ。ということです。軍隊式のストイックな教育も、帰れる暖かで安心できる場所があってこそ成り立つわけで、たとえ自分ひとりでも自分のために安心できる場所を作ってやることは必要だなあと思いました。
「人と関係を築くのがいやだ」と言い続けているのに、人に会ったことがきっかけてモヤモヤを一つ解消できています。そういうものなんですかね。
※脱線しながら自分のための結論に到達し、その過程を人に読ませる!まさに日記ですね。読了してくださった方(がいらっしゃるなら)ありがとうございました。