「実の私はこうなんです..」.と自分を理解してもらうための説明をずいぶんしつこく続けてきた気がします。

でもあるときふと、私からのはたらきかけ(説明とか行動など)で相手の私に対するイメージや評価を変えることはできなし、それが当たり前だと思うようになりました。

具体的にどうしたいか、だけを考える

人からの自分の評価を相手との関係で分けると、大きく2通りが考えられます。

一つは社会的な評価で、勤務先の上司からの評価、学校の先生の評価など。査定や進学などの結果につながり、意図的に良くしていく必要に迫られているもの。

二つ目はプライベートの素の人間関係での自分イメージ。やさしそう、気難しそう、なんでも言うことを聞いてくれそう、頼りになりそうなどなどです。

今日、この記事で書きたいのは二つ目の評価のこと。家族、友人や知人から自分がこう思われている、こう思われたいという気持ちから生まれるストレスについてです。

流されていく「私の説明」

私の場合、「頼りになる」「なんでもわかってくれる」「ほんわかしている」というイメージを持たれます。一見、自慢のように思われたかもしれませんが、私にとっては嬉しいことというより、むしろプレッシャーでしかないストレス源でした。

私の自分に対する評価(イメージ)は「けっこういい加減」「本音は逆」「イラチ(関西弁・すぐイライラする人)」です。あれ?と思われましたか。そうなんです、人からもたれるイメージと逆なんです。

で、私は両親・兄弟以外に対しては、相手が思うように行動しなければいけないという自分縛りルールがわりと強い方だったので、自分イメージのギャップは「失敗できない」「絶対、わかってあげないといけない」「いらいらしてはいけない」というプレッシャーになっていました。

そこで、私は自分は「頼りにならないところもあるし、あなたの考えと逆のことを思うときもたくさんあるし、イライラしてるのよ」と説明して、自分のイメージを直してもらうことに膨大な時間とエネルギーを割いてきたわけです。

ところが、です。時間やエネルギーをかけて説明しても、相手の自分イメージはそう簡単に変わらないのですね。

自分の味方、と思った人はずっと味方と思うのが人の常で(だから裏切られた!と思う)、コロコロと変えていたら脳も大混乱でしょうし、そもそも人は思っている以上に人に事を気にしていないものなので、「私、実はこうなんです」という話も「へー、そうだったんですか」だけで終わることがほとんどだと思うんです。

相手が思い描きたい自分(私)イメージは尊重する

「へー、そうだったんですか」だけで終わってしまうことが「自分を理解してもらえていない」というストレスや相手に対する不満になることは多いです。

精神的なことだけだと、単なる暇人か神経質な人で終わってしまいそうなので、具体的な例をあげます。

グループで何かしているとき、自分ばかりやらされていると思う場面。「あなた子供いないし外で働いていないから時間あるわよね」というかんじで用事を頼まれまくって辛いなど、意外とありがちです。

で、「私には取り組んでいる在宅の仕事があって時間は余っていない」ことを一生懸命説明します。”そうだったのね、そしたらもっとみんなで分担しましょう”と言ってもらうために。

でもたいてい「そうなんだー、大変なとこごめんね。だいたいで良いから」という感じで終わってしまうのが私の経験で、「忙しいことをわかってもらえなかった」ストレスがボンッと生まれてくるのです。

でも「子供がいない」「基本は家に居る生活」は、一般的には「自由に時間が取れる人」とされています。親の介護などがあれば話は別ですが、そうでなければ特殊なパターンなので、理解されなくても仕方がないんですよね。

そこで、理解してもらうことは諦めることにしました。これで、理解してもらうために使っていた膨大な時間とエネルギーが節約できるなら、お安い御用だわ!!と思って、「相手が思いたいように自分を評価してもらう」ことにしました。

「自分を理解してもらえていない」という不満も、「だいたいしか理解してもらえなくて普通かなー」ぐらいに思うようにしました。

そうこしていたら、結局は”私の言動でこの人はそんなイメージを持ったんだ~。へ~。”という受け止め方になりました。なんというか、相手の自分に対する評価(イメージ)も好奇心の対象になった感じです。

具体的な結論は、自分の意見をはっきり伝える

評価は放置することに決める代わりに、具体的に影響がでそうなことはきちんとフォローすることにしました。たとえば、

  • 暇と思われて任せられる用事→ちょっと今できないの、ごめんねー^^と言う
    (暇やのに断って、なにさ!と思われるか気になるけど実際にできないのだから(忙しくなくても)気にしない)
  • ミスしない原稿作りを頼まれた→誤字脱字と表現に失礼がないかだけチェックしてーと言う
    (ミスがあったらどうしよう、と不安になりすぎて原稿に集中できないなら、チェックだけを分担してもらう)

断るのではなくできる範囲でだけやろうと思ってもいいし、自分なりにミスを発見しやすい原稿作りルールを作ってもいいと思います。ポイントは相手の許可を求めず、自分で”私はこうするわ”と決めちゃうこと、でしょうか。

大切なことは、人からの評価をうんぬんするより、”私が何をどうしたいのか”を自分で知っていることと人に伝える事。人からの評価はなかなか変えられませんから、そこは家族や気心のしれた友人に愚痴(変えようとせずただ話す)って気分転換しながら、具体的な結果を変えるようにだけすると楽になる気がしています。