出会った人のすべてが素晴らしければ毎日が楽しいですが、自分が未熟で至らない部分を持っているように、自分以外の人もまた素晴らしい人ばかりではありません。人付き合いの悩みはほとんどの人が同じようにかなえている悩みです。

だからこそ大切にしたいと思っていることが人の良いところを見つけること。自分ができないことをできる人は生きた教科書。勉強は好きじゃなくても、人から学ぶことはとても楽しいと思います。

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今の職場に勤めはじめた頃、私に仕事を指導してくれた人から本当にたくさんの事を学びました。50歳前半の男性。妻と二人の子供がいて、大学では理科系を専攻していたとか。

人当たりの良さそうな柔和な顔立ちと表情。つられて私の表情もほころんでしまう柔らかな笑顔に人柄が表れているなぁと感じています。


その人は、頭の回転が速くて、理解力もすぐれています。本質的な部分を見据える力があるのでしょう、応用力もあります。仕事を教わったとき、その説明が必要最小限でありながら趣旨にさかのぼった内容になっていて、仕事を覚える私の自主性を生かしてくれる人だと感じて嬉しかったことを覚えています。

ところがその人。基本的な姿勢が相手に委ねる・任せる人なんです。デキる人なのに自分でしない。何気ない会話の中でも自己顕示することはまずありません。人と比較することもしない。重要でないことはどんどん譲って相手に合わせる。ムカつきそうな冗談にも、一呼吸おいてからベストの返事をする。

やんわりとしかやっていないので、簡単そうに見えます。が、いくつになっても人には「我」があり、その「我」が邪魔をするから、人に譲ったり任せたりすることは難しいと思います。それができるから、その人は素晴らしい。

見方によると怠け者となりかねない。人によっては「あのおっちゃん、頼りない~」と受け取られてしまう。実際、重要度の低いことはポカッと忘れているときもあります。だけど、そういったうっかりミスは、他人に対しても寛容だから、うっかり人間の私にはありがたい。うっかりミスを大きく取り上げ、あーだ、こーだとどうでもいい事ばかり言ってくる人もいる中で、大切な事だけに限って指摘してくれる判断力は見習いたいと思う。


この人に出会ってから、物事には重要度があり、重要度に応じて言動を区別することが心の余裕・人への寛容さを生むのだと実感しました。どうでもいい事はどうでもいい。どうでも良くない事は譲らない。そんな緩急をつけられる力と経験を積んで生きたいと思いました。