強さとは笑顔でいること
私が大事にしようと思う事(2007.10.17)
笑顔は体と心を軽くする、という話は一人で「にぃ~で、ストレス発散で書きました。
今回は、ストレス発散とは違う視点で笑顔について考えてみたことを書きます。
笑顔は強さのバロメーター
2007年9月5日の日記に「笑顔は強さのバロメーター」という言葉をメモしました。
もともと私は「人間、強くなくたってええねん。」という考えを持っているので、「強い」ということがどんなことかあまり考えていませんでした(参照:誰より強くなりたい?)。
強くならないとダメ、という考え方に賛成できないんですよね。弱いなりの戦い方はあるんだ、と思うから。
だけど、ふと「強さってなんだろう?」という疑問が心に浮かびました。アンチ強い・弱い派の私ですが、自分に足りないものを日々考えていると、避けられない疑問でした。
強さとは何かを、自分なりに考えた
その時の私は、「踏ん張れない自分」「人のせいにする自分」「言い訳を用意する自分」を少し直したいと思っていました。で、何が足りなくて、何が足りてるのかを考えているときに、「強い」といわれるアスリート達のことを考えていたら「強いってなんや?」という疑問がわきました。
強くなくていいと思いながら、一度心にわいた疑問を解かずにいられない性格の私は、メンタル面の強さについて、ぼんやり考えました。頭の片隅に何ヶ月も置いたまま考え続けました。
「へこたれない」「失敗を恐れない」「挑戦し続ける」「物怖じしない」など、聞いたことがある言葉が浮びました。が、「へこたれない」「失敗を恐れない」「挑戦し続ける」「物怖じしない」などは確かに強い人にみられる態度や行動です。が、「強さってなんなんやろー?」という疑問の答えそのものではないように思いました。私には違和感がぬぐえなかった。
その人は笑っていた
テレビのドキュメンタリー番組などで、惹きつけられる笑顔の人っていますよね。「ああ、すごいがんばってるんだ、この人は」と感動して泣いてしまうような笑顔をした人。
涙なしではいられない感動のドキュメンタリー番組が好きな私は、がんばっているひとの姿を見るのが好きでした。「この人、こんなに辛いのに笑顔だよ。すごいね。私にはできないよ。」と言っては、その笑顔から元気をもらっていました。
ところがある時、「この人たち、なんで辛いときにも笑顔でいられるん?」と思いました。同時に「それが強さ!?」と思いました。
その後、自分が悲しくなったときや辛くなったときに笑顔でいようと試してみました。すると、残念。私にはできませんでした。頭では「笑顔を試そう」とわかっていますが、続かない。悲しいときには悲しい顔。苦しいときには苦しい顔。ちょっとやそっとじゃ、笑顔になれないことを知りました。
自分が試してみて、苦しいときに笑顔でいることは、心が強くないとできないことを知りました。苦しいときに苦しい顔をして、周りに人に苦しさを表現することはごく自然なことです。その自然に逆らって笑顔でいることは、言葉を省きたいときでも「私は今苦しいんです」と言葉にできる強さを持っていることの現われだと思いました。
悲しいとき、「誰か私の悲しさを察してよ」と悲しい顔をするのは自然なことです。笑顔でいれば周りは私が悲しいことに気付きません。誰も私の悲しさを癒そうとしてくれない。だって、私が悲しんでいることがわからないから。
悲しいときに笑顔でいるということは、つまり、自分で言葉で「私は悲しいです」といわなければ周りが気付いてくれない状況を受け入れられるということなのです。それはこころが強くないとできないでしょう。
テレビの中のその人が、とても苦しい状況にありながら「しょうがないですよね。がんばるしかないです。」といいながら本当に笑顔でいたことが忘れられません。彼女は本当に強い。
だから苦しいとき・悲しいときに笑顔でいられること、それが「強さとは?」の答えだと思いました。