強くなりたい。弱虫め!など強い・弱いを意識することが多いですが、一体なにより強くなればいいのでしょう?

君は誰より強くなりたいんですか?

町を一望できる丘の上の楠木の枝に少年と桑田判事が座っている場面。

「辛いことがあったときに、この木の上で花を眺める」という言葉に、「それって弱虫なんじゃないの?」と問う少年に対して答えた桑田判事の一言。「なんのために(強くなりたいの)?こうやって一緒に木に登っているだけで楽しいでしょ?」と。

「はっ」とした一言です。

強くなりなさい、と言われたことは何度もあり、また自分自身でも何度も言い聞かせてきました。

でも、なぜ強くならないといけないのか。私にはわからりません。

苦しみを乗り越えるために必要だから?

夢を実現するために必要だから?

誰かに勝つために必要だから?

確かに、強くなればいいのかもしれない。

でも必ずしも強くならなければならないわけではない。そう思いませんか?

弱くたって、弱いなりのやり方がある、と。

私は、何かを成し遂げる時に大切な事は「何をしたいか。何をすればいいか」だけで、「強い・弱い」ではないと思っています。

参照元:家栽の人」(毛利甚八・作 魚戸おさむ・画/小学館)第10巻CASE7「クスノキ」