友人から「俺って『楽観的な性格ですね』とよく言われるんだけど、それっていい意味?悪い意味?」と聞かれました。

明るい雰囲気を何よりも大切にする友人は、どんなときも明るく楽しい言葉を選ぶように努力する人です。が、すこしうっかり屋さん。

「いい意味でもあるし、悪い意味でもあるね~」といいながら、二人で苦笑いしていました。

褒め言葉に皮肉が入ってる!?

「楽観的」という言葉を「軽率な」「思慮深くない」「浅はかな」などの悪い意味で使う人がいます。皮肉や嫌味を言うときに使うんですね。ストレートに批判することをはばかるときなどに多い使い方です。

このように褒め言葉に皮肉が込められているとき、その皮肉に気付いてしまう人がいます。謙虚な人が多い日本人は、ほとんどが皮肉に気付いてしまうのかもしれません。

そしてつい、「いやいや、私もいろいろ苦労してるんですよ。」などと「自分は軽率ではないですよ」という言い訳をさせられることって結構あります。

褒め言葉の意味を正しく受け取る

しかし、褒め言葉として使われる言葉にはいい意味しかありません。

例えば先ほどの「楽観的」には、「すべての事を良いほうに考え、心配しないこと」(岩波 国語辞典より)という意味しかありません。最近は「ポジティブ」という言葉が使われることも多くなりましたが、「楽観的」「ポジティブ」ともに前向きな心の持ち方を意味するいい意味の言葉なのです。

なのに、皮肉や嫌味につかわれると、私達はつい、悪い意味を想像・理解して、正しい意味を見失ってしまいます。誰だって皮肉や嫌味を言われたくないから、逆に皮肉や嫌味に敏感なんですよね。

だけど、皮肉や嫌味をいう人の意図に乗るって悔しくないですか?正しい・いい意味があるのに、相手の使おうとする悪い意味しか見られないのなら、そんな自分に私は悔しいです。

だから私は「楽観的」だね、と言われた時は、「そうなの。ありがとう。」と答えるようにしたいと思いました。褒め言葉を正しい意味で受け取り、自分の長所として素直に喜ぼうと思いました。

皮肉さんに認められなくてもいい

生真面目であればあるほど、言葉の裏側に込められた皮肉や嫌味を真面目に受け止めようとする気がします。そして感じるストレス。

「前向きでいようとしているのに、浅はかだと思われているなんて」
「心配させると悪いから明るく振舞っていたのに、鈍感だと思われたなんて」

周囲のために人知れずさりげなく行っている努力を感じられない人は多いです。おそらく私もまた人の努力を軽んじてしまう人間の一人でしょう。

なのに私達はさりげない日々の努力を認めて欲しい、せめて否定されたくは無いと思いながら生きています。だから言葉の裏側に込められた皮肉や嫌味などのネガティブメッセージに言い訳したくなる。

だけど言葉を裏返しに使ってしか自分の気持ちを伝えられない人に、自分の努力を認めてもらう必要があるでしょうか?言い訳をすることで、自分が本当に報われるでしょうか?

私は皮肉や嫌味を言う人にまで自分の努力を認めてもらわなくていいと思うようにしています。

そんな人を相手に、褒め言葉の裏側を読み取ったり、言い訳・説明をすることはとてもストレスがたまるし、自分の努力が報われると思わないからです。

だから、褒め言葉をいわれたときには裏を読まない!言い訳もやめる!と自分に宣言しました。「そう?ありがとう!」と褒められたお礼を口にするようにすれば、皮肉や嫌味も褒め言葉になります。

褒め言葉を正しい意味でうけとるようにすることで、自分を肯定する習慣。ストレスを少なくするために役立つ習慣だと思います。

嫌味や皮肉も上手に生かそう♪
嫌味や皮肉に言い訳をしない、と書きましたが、嫌味や皮肉が自分に役に立つときもあります。
自分が思いもよらなかった批判を受けることで、自分とは違うものの見方があることを教えられることがあります。腹の立つことであっても、そんな風に思う人もいるのだな、と軽く受け止めておくだけで、視野が広がります。
嫌味や皮肉は、相手の表現方法に問題があるため真に受けて落ち込んだり怒ったりする必要はないと思いますが、自分とは違う視点があることを気付くきっかけにできればいいと思います。
失敗を成功に変えるといいますが、皮肉や嫌味を反面教師にしたり、自分を豊かにするきっかけにできれば、嫌な出来事もラッキーな出来事に変えられる気がします。